こんにちは。
やまざきたかし( @yamazaki_1205 )です。
不安は自信のタネになる?
以前ぼくが資格試験の受験勉強をしていた際、関連する場所で手に入れた冊子に、このような連載がありました。
「平尾誠二 リーダーの視点」です。
平尾誠二さんといえば、日本のラグビー界を代表する選手であり、指導者でもありました。
この連載の一記事である「不安という力」のタイトルから何か得られるものがあるのを期待してこの記事を読み始めたんです。
冒頭、ぼくが持っていた平尾氏のイメージとかけ離れた文章に衝撃を受けました。
私という人間は、知らない人から見ると、いつも自信に満ちあふれ、不安など感じたことがないように映るらしい。誤解である。それどころか、私くらい常に不安にさいなまれている人間はいないのではないかと思えるほどだ。
まさにそんな感じの文章でした。
ここから展開されるのは、不安を持つことが悪いことではなく、自信を持つために必要であることです。
それに勇気付けられて今の今までこの記事を捨てずに持っていることになりました。
トップアスリートの「自信と不安の葛藤の中で」
トップアスリートだった平尾氏でも、より高いレベルに身を置くときは不安を感じていたそうです。
それは、中学・高校・大学・社会人というそれぞれの環境でもがき、自信が生まれ、また次の環境で不安になり、もがき…の繰り返しです。
不安があるからこそ、現実にならないようにするために緊張感が高まって集中できるし、判断力も研ぎ澄まされる。不安は、何かを達成しようというときのバネになるのである。逆に、自信に満ちているときは、安心しきってしまい、かえってそういう力はわいてこない。私自身、不安があるときのほうが調子がいい。スポーツであろうとビジネスであろうと、勝負をしているときには、自分の内部の力を高めるためにも不安は必要なのだ。
資格試験を例にとれば、例えば記念受験のような時は不安などないでしょう。
「勝負」をしていないからです。
後半で紹介しますが、やはり不安ばかりではダメ。
それでも、平尾氏の「不安は必要」の言葉に救われる部分が大いにあります。
トップアスリートが語る「悲観的な視点」「不安だから常に考える」
そもそも、人はなぜ不安になるのか。私に言わせれば、想像力があるからだ。想像力があるから、普通は気にならないちょっとしたことにも不安になるし、恐怖を感じるのだ。
思えば、学生時代から何か課題をやったり準備をする際、後で振り返ると「ここまでやる必要はなかったな」と言えるレベルでこなそうとするタイプでした。
それも、心配性ゆえに不安をエネルギーに変えて前に進むことができたのではないかと感じています。
もう一つ、斬新な発想というのは、突き詰めれば不安から生まれるのではないかという気がしている。ラグビーだけでなく、何事に対しても私の考え方は独創的だと言われるが、私だってそうした発想がいきなりポンと出てくるわけではない。不安ゆえに日ごろからあれこれと考えをめぐらせていたことが、ある日何かのきっかけで実像を結ぶのである。普段考えたことのないことが突然形になってわいてくるなどということは、絶対にない。これは私の経験からも断言できる。
発想は特別な人にだけ許されたものではありません。
普段から種まきをすることで、だれにでも生まれるものです。
ひらめきであったり直感からのメッセージも、単なるラッキーではなく、普段から意識を向けていることが必要なのでしょう。
トップアスリートの「自信と不安のバランス」
ただし、不安ばかり肥大してしまってはよい結果は生まれない。決断力が鈍って、思考を行動に移せなくなってしまう。一方で、自分を信じる力も必要だ。自信と不安、どちらも過剰になってはいけない。二つのバランスちょうどよく保つことが大切なのである。
「不安は必要」とは言っても、やはりそれだけではいけません。
それを力に変えるための行動が必要になります。
「開き直り」や「人事を尽くして天命を待つ」というのは、この段階まできて初めて説得力があるのではないでしょうか?
さらに、ここから先は行間を読んでの想像です。
指導者となった平尾氏はチームの中で不安の部分を担当し、選手には自信の部分を担わせていたのではないかと感じます。
トップアスリートに学ぶ成長の方法まとめ
しかし、不安は一種の防御機能と考えれば、不安とうまく付き合い、できればこれを利用してしまおうと考えるのが合理的。
不安に押しつぶされそうなときは、「不安があるから〇〇できる」の考え方で成長したいものです。
それではまた。