こんにちは。
やまざきたかし( @yamazaki_1205 )です。
個人的に、昔から思うところとして「自分には個性がない」ということがあります。
正確には、「ある・ない」の表現よりも「見せ方」の問題かもしれません。
そんな時、あちこちで見聞きする「奇抜」な人のことを思うのですが、そのつど「違う、違う」と我に帰るんですね。
すなわち、「個性というのは、相対的なものであって、決して“奇抜”であることではない」という考え方です。
それには、小学生の時の出来事が深く関わっているので、今回はそれを振り返ってみようと思います。
個性とは、キラキラしていること?
小学校3年か4年くらいの頃、図工の時間のお話です。
パーティーハットの型に折り紙を貼り付けることで色付けをするという課題がありました。
教室には、たくさんの折り紙が用意されています。
その中に、ひときわ目を引くものがありました。
それは、金色と銀色の折り紙です。
特に、男子がそれに群がりました。
ぼくはといえば、そこまで強くは惹かれなかったのに、なんだか乗り遅れるのもイヤで参戦。
ちょっと収集がつかなくなり、結局先生がルールを決めて、“希少な”2色の折り紙が希望者に割り当てられました。
ただ、それだけではパーティーハットの面積には及ばず、足りない部分を別の折り紙で埋めて、各自どうにか完成。
その後、クラスメイト全員のパーティーハットが教室に飾られました。
個性とは、相対的なもの
金銀争奪戦に消耗しきった児童の作品は、みんなツギハギだらけの折り紙に、わずかな金銀を仕方なく貼ったような残念なものになっていました。
そんな中、クラスメイトを惹きつける作品がありました。
金銀争奪戦に参加しなかったK君のパーティーハットです。
使われている折り紙は、青と水色の2色のみ。
それでも、その折り紙は、2色のコントラストで美しいらせん模様を描いていました。
きっと、早々と折り紙を選び、じっくりと時間をかけて模様を作っていたのでしょう。
先生は、K君の作品を褒めると同時に、金銀争奪戦に参加した児童に対する皮肉の一言がありました。
「個性が強い」の意味をクラスの男子児童全員に教えてくれたK君の話・まとめ
金色と銀色は、単色で見ればとても目を引きます。
ですから、他の人が誰も使っていなければ、とても個性的な作品になったでしょう。
しかし、今回ご紹介したエピソードでは、多くの児童がそれを使うことを望んだため、逆に個性のない色になってしまったのでした。
ということで、個性について考える時、「奇抜」であることに思考が行ってしまいそうなところ、「違う、違う」となるのは、このエピソードがあったからです。
「個性が強い」の意味をクラスの男子児童全員に教えてくれたK君の話でした。
それではまた。